前回はシーラについてお話しをしました
読んでいない方はこちら
↓↓
今日はサマーディとパンニャについてお話をします
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サマーディとは集中
パンニャとは知恵のことですが
サマーディを高める瞑想法は
アーナパーナ瞑想
パンニャを高める瞑想法を
ヴィパッサナー瞑想といいます
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「ヴィパッサナー瞑想が目的なのに
なぜアーナパーナ瞑想をしなければならないの?」
と疑問に思う方もいると思いますが
アーナパーナの瞑想法は
ヴィパッサナー瞑想の大いなる助けとなります
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実践法については詳しく
話すことができないので
どう助けとなるかと言われると
少し困ってしまうのですが
ヴィパッサナー瞑想をすると
なぜ嫌悪や渇望から離れることができるのか
はお話しできますので、そのお話をしましょう
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苦しみの原因は
嫌悪や渇望だと話しました
では、嫌悪や渇望はなぜ起こるのでしょうか
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感覚は、五感から入ってきた情報を
心地よいか、心地悪いか、どちらでもないかを判断し
それによって生まれるのですが
その判断の基準が心の濁りなのです
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例えば、誰かが
「君は、ブサイクだね」
と言ったとします
自分に対して執着という心の濁りの多い人は
「こんな素晴らしい私に対して
ブサイクだなんていうんだんて、なんて人だ!」
と怒るかもしれません
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しかし、自分に対してあまり執着のない人は
「その人はそう思ったんだ。ふーん」
と気にしないかもしれません
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また判断は
過去の条件付けによっても起こります
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例えば、大好きだけれど浮気性な父親を持った女性は
本当は浮気が嫌なのに、お父さんのことが大好きだから
「男と言うものは浮気ぐらいして当然だ」
と思うようになるかもしれません
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そういった女性が大きくなると
本当に大切にしてくれる男性に出会っても
なぜか物足りなく感じ
父親と同じように浮気性の男性を選んでしまったりします
しかし、心の奥底では本当は嫌なので
そのような男性を選んでもうまくいきません
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そうして、私たちは過去の条件付けを通して物事を見ているので
今、目の前に起こっている現実をありのままにみることができません
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最近つくづく思う事は
幸せは本当の上にしかないと言うことです
私たちは、心の奥の惨めさに気づきたくないので
お酒で誤魔化したり、 刺激的なゲームをしたり、
見た目の良いアイドルグループに夢中になったりします
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そういったときは
ひと時、惨めさが消えるかもしれませんが
みじめさは消えないのです
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抜本的は解決には
心の奥底から変えなければいけませんが
それがヴィパッサナー瞑想です
そんな瞑想をインドでしてきました
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本当はもっと伝えたいこともたくさんあるのですが
この辺にしておきます
なぜなら、多くの人が
「どうだった?」と聞くけれど
実際に体験してみないことには
全くわからないと思うからです
どんなに野球の本を読んでも
野球が上手くならないのと同じです
なので、この辺でやめておきます
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今回で
ヴィパッサナー瞑想についての解説は終わりですが
参考になりましたでしょうか
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みなさまにとって今日も良い日となりますように
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詳細を見る →–
前回は、 苦しみの原因についてお話をしました
まだ読んでない方はこちら↓↓
そこから抜け出すためには
シーラ(道徳律)
サマーディ(集中)
パンニャ(知恵)
の3つが必要です
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本日はシーラーについてお話をします
シーラとは道徳律です
道徳と言うと、小学校の授業で習った
授業というイメージが強いかもしれません
瞑想センターでは
シーラとは以下の5戒のことを指します
↓↓
生き物を殺さない
盗みを働かない
一切の性行為を行わない
嘘をつかない
酒・麻薬の類を摂らない
これは、センター内で
必ず守らなければいけないルールです
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これを初めて聞いたときに、正直違和感がありました
なぜなら、センターでは瞑想は
宗教ではないと明言しているからです
ですので、初めの頃は
「5戒は教えではないか?
教えであるとしたら、それは宗教ではないか?」
と思い、モヤモヤした気持ちを抱えてきました
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ちなみにセンターではこの5戒を
「普遍の真理」だと言います
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普遍の真理とは重力みたいなものです
ニュートンが重力を発見しなくても重力は存在しています
酸素と水素が結合すると水になると言うことを知らなくても
酸素と水素が結合すると水になります
これと同じ類のものだと言います
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「殺意という濁りを生み出さなければ
生き物は殺せません
盗みを行うとき、緊張という濁りを生み出さなければ
盗みは行えません
お酒を飲みながら、瞑想はできません
心に濁りを生み出しながら
平和と調和を育む瞑想ができるはずもありません」
という説明でした
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初めはわかったような
わからなかったような気持ちになりました
ところが瞑想が深まっていくうちに
シーラがどれほど大切なのかということが
だんだんわかってくるようになりました
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私はお酒が好きだったので
お酒をやめなさいと言われた時は
強い反発心がありました
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ですが、瞑想を続けていくうちに
お酒が全く飲めなくなってしまいました
今では酒の席に行くだけで
嫌な気持ちになるほどになりました
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またシーラは瞑想していくうちに
さらに深まっていきます
例えば「盗まない」
というシーラが深まってくると
「与えられていないものを欲しがらない」
さらに深まると
「与える」というようになってきます
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また、「シーラを守ると
今度はシーラががあなたを守ってくれる」
とも言われます
これが本当に不思議で
そのようなことはしょっちゅう起こります
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たとえば、与えられていないものを欲しがらなくなると
なぜか与えられるようになるのです
以前、30日コースのような長期コースを
受けたくて受けたくて仕方がありませんでした
渇望していました
ですがある先生から
「あなたは長期コースを受けてはいけません」
と言われました
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その時は、大変ショックでしたが
「与えられていないものを欲しがるのをやめよう」
と思ったら、いろいろな方の協力があり
受けることが出来るようになりました
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人生って不思議で
欲しくて欲しくてたまらないものほど
なぜか手に入らないものです
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瞑想して心が浄化されて
執着が減っていくと
自然とシーラが深まっていき
必要なものは与えられるようになります
怖いものが何一つなくなります
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一方、ちょっとした出来心で
シーラを破るといろいろなことが
うまくいかなくなります
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ただ、ここでシーラについて
色々お話をしても、実際に体験してみないと
わからならないことだと思うので、この辺にしておきます
ちなみに、シーラがサマーディを強くし
サマーディーがパンニャを強くし
パンニャがにシーラを強くすると言われています
続きは次回お話しします
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詳細を見る →
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前回、瞑想のゴールは
苦しみからの脱却と話しました
その1を読んでいない人はこちら↓
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では、苦しみとはなんでしょうか
それは、渇望と嫌悪だと言います
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瞑想を始めた頃は
嫌悪が苦しみの原因だと知って
すごく感動しました
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私は子供の頃から正義感が強い方で
いじめられている子を見ると
あと先考えずに庇ったりしていました
でも、その結果、自分が疎まれたりして
「私は何も悪いことをしていないのに
なぜこんな目に遭うのだろう」
と思うことがよくありました
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でも
「私の中に嫌悪という濁りが
あるから苦しいんだ
結局、自分を自分自身で
苦しめていたんだ」
とわかったら、人生が変わっていきました
生きるのがすごく楽になってきました
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一方、渇望に関しては
はじめの頃はなぜそれが苦しみなのか
よくわかりませんでした
苦しみかもしれないけれど
あった方がいいものだと
思っていた時期もありました
ところが、瞑想を続けるうちに
渇望は本当に大きな苦しみだと
いうことがわかってきました
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ちなみに、希望と渇望は違います
渇望は、欲しいものが手に入らなかった時に
がっかりするかどうか
執着があるかどうかで決まります
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特に愛に対しての渇望は
強いものです
好きな人へは強い執着をうみます
一日だって連絡がないと苦しくなります
その人のことばかり考えてしまいます
それなのに別れると
その人のことなど一切思い出さなくなります
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愛は消えません
本当の愛ならずっと続くはずです
なのに思い出さなくもなるということは
その人に対して単に
執着していただけかもしれません
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人間としての時間は大変貴重です
全ての人は何かしらの使命を持って
生まれてきたのだと思います
それなのに、渇望に溺れる時
その後には何も残らないのです
短絡的な快楽に溺れて
本来の使命を忘れいくのです
恐ろしいことです
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「人間の証明」という本の中で
囚人たちに女性をあてがう
という場面があります
短絡的な快楽に溺れさせて
本来戦うべき相手を
忘れさせようとしているのです
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今の私たちも同じだと思います
一生懸命働いても生活が良くならない
病気の人は増えるばかり
「その原因はどこにあるのか?」
それを考えることはとても大切なのに
世の中には
簡単に気持ち良くなれる
快楽に溢れているから
そちらに流されてしまいます
苦しみは存在するのに
その本質をみようとはしないのです
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短絡的な快楽にばかり溺れるのは
動物の生き方です
でも、快楽というのは
本当に争うのが難しいものです
だからこそ渇望を滅する訓練をすることは
とても大切なことなのです
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政治に興味を持つようになって
渇望がいかに恐ろしいものなのか
実感としてわかるようになりました
–
では、それらを滅するためには
どうすればいいのでしょうか
続きは次回
–
詳細を見る →
インドでヴィパッサナー瞑想30日コースをしてきました
それを一言で言うと「自然」でした
それは大したことのない経験と言う意味ではなく
私がここにいることを「知っていた」
私がこのコースを完了できることを「知っていた」
できることを「知っていた」
私がこの人に出会うことを「知っていた」
と言う感じ
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(センターの表玄関)
–
海外へ行くと、大抵
緊張や居心地の悪さを感じるけど
「昔私ここに住んでいたのかな?」
と思うほどリラックスしていました
とても不思議でした
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ちなみに、私は30日間「乞食」をしてきたんです
人の善意だけに頼って
食事をし、宿を与えられ、生活をしてきたのです
この瞑想センターは寄付制ですが
私たちが寄付をするのは次に来る生徒さんのためにあって
自分たちは、昔寄付してくれた人の「施し」によって生きるのです
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施しをされたものについて文句を言うことはできません
施された側は自我を滅することを学び
施した側は自我を増長させないように
純粋な気持ちで与えることを学びます
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(私が行ったセンターの様子)
–
このシステムは日本のセンターも同じですが
インドではそのありがたみをさらに強く感じました
正直「収容所 のようなところに収容されるのだろうな」と思っていました
ところが部屋は大理石の床、高い天井、
白亜の壁、1人1つずつのバストイレと
大変充実したもので
食事もカレー2種類、野菜3種類
ご飯、チャパティー、果物など
たくさんのメニューがありました
(そして大変おいしかったです)
庭には、たくさんの花が咲き乱れ
常に目を楽しませてくれます
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自分の持っているものを分け与える事は大変難しいことです
特に見ず知らずの方に分け与えるのは難しいことです
それなのにこれほどまでの施設を維持していけるのは
そういった方がたくさんいたからです
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センターはすべて独立採算制なので
借金があるセンターもありますし
潰れてしまうセンターなどもありました
でも、このセンターは理想だけで、
これほどまでに運営されていて
奇跡のように感じました
そして、「人間、まだ捨てたものじゃない」と
思えました
–
私たちは資本主義の社会で
競争の中で暮らしてきたから
助け合うことの大切さや
人に与える喜びを
知らずに生きてきたような気がします
–
資本主義が悪いわけではありませんが
それがすべてだと思ってしまうと
本当の生きる喜びを知らずに
人生を終えることになるかもしれません
–
ちなみに、瞑想のゴールは苦悩からの脱却です。
そのために
シーラ(道徳律)
サマリー(集中)
パンニャ(知恵)
を学んできました
長くなるので、続きは次回
–
一緒に行った仲間たち(コースが始まる前)
詳細を見る →現在、ワクチン接種後の人々のターボ癌(進行が早い癌)が増えているという情報を得ています。
本来の自然治癒力を発揮するために先ずは、デトックスが重要であると検証を重ね理解に至りました。
次に、免疫の約7割をつかさどると言われる腸内環境を整え、良質な栄養素の吸収を促し、細胞一つひとつの糖鎖を強化して、免疫をキープしながら良質なミネラルを定着させ、体液を弱アルカリに保ち、体温を36.5度以上に維持できれば救われる可能性があると認識しています。
免疫をキープするための手立ては溢れていますが、体内の良質なミネラル、アミノ酸、酵素、酸素の作用がポイントになると理解しております。
以上は現在、わたしたちNGOが実践している基本的な健康増進プロジェクトですが、今回はその一つの機能『ヒト糖鎖』についての情報共有をして参ります。
先に、以下の情報をご覧ください。
◉糖鎖について!おもっきりTVで放送された内容です。
※文部科学省の大規模プロジェクトとして今年度から10年間で計321億円の予算がつく見込みだ。ナゾ多き
◉「細胞の衣装」…ヒト糖鎖の解読スタート
◉以下はわたしたちNGOと連携して、糖鎖を周知・啓蒙活動をしている組織の内部資料です。
詳細を見る →